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 株式会社エスピーエスたくみ 村田裕輔さん。
 第一印象は声が大きい、舞台さんとしてイメージする通りの方。しかし初めて打合せでご一緒した時に感じたのは、丁寧で行き届いた配慮や説明をしてくださること。そして舞台でお仕事をさせていただくたびに、繊細で実直なお仕事をされると感じています。主催者の急なお願いにまずは耳を傾け、臨機応変で適切なアドバイスをくださること、舞台袖にいながらロビーの動きにも常に注意を払っていらっしゃること、舞台技術者としてのみならず、ホール全体の動向を見守る視野をお持ちだと思います。
  (インタビュー:2015年2月26日) -文・構成・写真= 蓑島晋・畑中洋子(シン・ムジカ)-




■出会いと印象
― 最初にお会いしたのはいつだったか。シン・ムジカのコンサートシリーズで清水文化会館マリナートの小ホールを使わせていただく際に、舞台を村田さんに担当していただいた機会が多くありました。舞台袖でご一緒すると、いろいろなことにアンテナが張り巡らされているのが分かります。もちろん経験があるからできることなのでしょう。こちらから相談したら相談しただけのお返事、できるもできないも明確に、そういう意味でとても頼りになる、信頼ができる、そういう方は多くはないと思います。マリナートの舞台スタッフの皆さんもですが、わざとらしくなく手を貸してくださるのが絶妙です。

村田裕輔(以下「村田」)  すごい褒めていただいて、お恥ずかしい限りですけど。マリナートには精鋭を集めましたしね。

― そっと手伝ってくれますね、本当に助かります。驚いたのは、受付にいたら村田さんが来て「どうしましたか」って。ちゃんと見ていらっしゃるのだと思って、舞台さんというだけじゃなく、コンサートの全体を見ているステージマネージャーのようなことをしていらっしゃる、そのこだわりに感動しました。

村田  実はマリナートでは入口をモニタで監視しています。入口でのトラブルが多いものですから。そのために開演が遅れる可能性が高く、それを例えば一人のお客様を待った方が良いのか、それとも一曲待っていただいて入ってもらったほうが良いのか、というのをどうしても確かめたいということがありまして。ですから、開演前や休憩中は入口を見ていることが多いです。時間通りに始められるかどうかは、出演者様、我々も含めて、一番大切なスタートですので見ています。特にオープン当時は慣れない方が非常に多いですから。入り口が分からないとか、他の場所と間違えているとか。見ていると、歩き方やきょろきょろの仕方で困っていらっしゃるのが分かるので、そういう状況を見ながら進められればと思い、入口にモニタが付いています。大ホールについては広いので、主催者様にお任せして困ったらご連絡いただくようになっていますが、小ホールは目と鼻の先で行きやすい場所でもあるので、なるべく目を光らせていた方がいいかと感じています。

― そうそう、こっちは自由に好きに進めていながら、ポイントではちゃんと見ていてくれている安心感があって、とてもよく覚えていました。

村田  ありがとうございます。あとは、不審者が入ってくると困るということもあります。自由に入れてしまうのですが、主催者の受付にいらっしゃる方があまり心配をされていないことが多いので、いざという時のための監視も必要です。不審な人が歩いていないかも見ています。開場後は客席の中も見たりするんですよ、無関係な人がウロウロしていないかと。

― 舞台の皆さんは技術者ですから当たり前のことですが、繊細なのだと改めて感じた出会いでした。

村田  構造によっては様子が分からないホールはいっぱいありますが、分かってすぐに手を出せるなら、聞かれる前に返事をしてしまおうと思っています。私も最初にいつお会いしたのか記憶になくて申し訳ないのですが、たぶん静岡音楽館AOIで舞台についていた時に、初めてお会いしているのではないかと思います。AOIをご利用の方は、特にクラシック関係の方ですが、強い信念を持たれている方や、一筋縄ではいかない方ということがあり、気遣いが必要になることが多くありまして、なのでそういうことに気を遣いながら接しさせていただいたのではないかと思うのですが。

― こだわりが強いというようなことでしょうか。

村田  そうですね、クラシックといえば少し敷居が高いという部分があるのは事実ですよね。言い方が悪かったら申し訳ないのですけれど。

― いえいえ、村田さんやホールのスタッフさんたちの立場として、ということですね。

村田  そうです。ちなみに、私は小学校4年生から藤枝の少年少女合唱団に入っていました。藤枝市民会館で練習や発表会をしていました。ついでに言うと、小学校1年から高校までヴァイオリンを習っていて、かつては出演者でもあったんです。舞台に出ると上がってしまったことくらいしか覚えはないですが。舞台に立つ側の立場、あるいはクラシックを聴きに行くことも好きでお客様の立場になることもあって、裏方でお世話をする仕事ですけど、裏方だけじゃない目線、その三つの立場からの見方を持ちながら仕事をしたいと思っています。いろんな目線を全部足して、できること・できないことがあるのをご理解いただいて、その中でも最大限できることやサービスをしたいと個人的に思っています。

― それは感動です、幼い頃に合唱団で歌っていらしたのですね。



■現在の仕事に就くことになった経緯
― 幼い頃にステージに立つ経験があったということですが、ホールという場所は好きでしたか。

村田  大好きでした。異次元空間なんですよ。舞台に立ってスタンバイをして、本ベルが鳴って、緞帳が上がる瞬間の緊張感と、上がった時の客席のどよめきみたいなのが聞こえるのがすごく好きでしたね。少年少女とは言っても男の子は少なくて、僕は小さい学年だったし、スタッフの方やホールの関係者にも皆さんに可愛がってもらいました。それからホールに遊びに行くようになったんです。今の時代には外から人が入る、子供が遊びにくるなんてことはありえないことですが、当時は市役所の人が窓口にいて、「遊びにおいでよ」って言ってくださるんです。なので、高校生の頃には録音を担当させてもらったり、照明をやらせてもらったりという風でした。

― 遊びで触らせてもらえたのでしょうか。今ではありえないことでしょうね。

村田  個人的には遊びなのですが、バイト代をいただくこともないですし、でも正式な催しの照明をやりました。 自分の高校の吹奏楽部の定期演奏会では、自分で図面を書いてやりました。

― 最初は遊びに行って、いろいろ教えてもらううちに楽しくなっていって、そういう修行時代ということですね。

村田  そう、それが修行ですね。専門学校には2年行きましたが、世間を広めるのにちょうどいい場所でした。会社に入って24年、高校の頃からなので全部足すと30年近く照明に携わっていますが、同じ年の人には不可能な経歴です。ですから昔の機械の方が難しいのですが、同世代の人では触れない機械も操作できます。

― 昔のものは難しいのですね、コツなんかもありそうです。

村田  あります。現在の照明の調光機とは似ても似つかない代物です。昔は調光機を使いましたが、社内でそれを扱えるのは、同年代では誰もいません。あと、ピンスポットも今はボタンをピッと押すとランプが点きますが、昔はアークという、カーボンを焚いて使う特殊な技量が必要なものでしたが、それもできるのは私だけになっちゃいました。

― 遊びに行っていた高校時代に、舞台に関わる仕事を一通り経験されたのでしょうか。いろいろある中から、照明を選んだ理由はどういったことですか。

村田  一通りやりました。最初は音響をやりたかったのですが、ある時から照明がすごくきれいで、おもしろくなりました。

― それで専門学校へ行かれて。

村田  はい、専門学校では、主にテレビ照明を一通り覚えました。その後、東京の会社に入社して、テレビの照明の仕事をしていました。すごい仕事が楽しくて、来る日も来る日もスタジオの汚い所で、どうやらかなりいじめられていたらしいのですが、それすら全て楽しくて仕方ありませんでした。お風呂のないアパートで、帰ったら銭湯も終わっている生活が毎日続いて、仕事は楽しいのに生活ができなくなっていきました。途中から日常生活を送ることが不可能じゃないかなって思うようになって、地元へ帰る決心をしました。でもその時の何ヶ月かのスタジオでの技量というのは、今でも活かされていると感じます。良い勉強したと思います。本当は何年でも続けていたかったです。夢はテレビドラマの照明のところに自分の名前が載ることでした。

― そして地元でSPSたくみさんに入社されたのですね。

村田  はい。一年本社に勤務して、その後、沼津市民文化センターがオープンする時から配属されました。その時のチーフに照明のやり方、舞台のやり方を、みっちりと教え込まれました。沼津で三年間。その後、焼津市市民文化会館がオープンすることになり、そちらに異動になりました。

― どうしてこのお仕事に就きたかったのか、よく分かりました。

村田  はい、やっぱり楽しいです。現場の仕事は楽しいと思います。

― 現在は事務的なお仕事ですか。

村田  事務にいることが多いですが、土日は各会場が忙しいので、現場で仕事をしています。



■ホールにおける「舞台技術者」として、必要なこと、素質、心掛けていること、醍醐味
村田  素質は「自分で考える」ことですね。言われたままに仕事をしている人はなかなかうまくならないです。自分で考えて、自分で仕事を納得すること。僕は変わっているので、何か言われるとなぜだろうって思ってしまうんです。聞いて納得することもあるし、見て自分で納得することもあるし、そうやって自分の力になっていくと思います。疑問を自分なりに解決していかなければいけませんね。

― なるほど、それは分かる気がします。私も舞台で「こうしたい」ってお願いした時に応対してくれる舞台さんによって、理解して「はい」と言ってくれたのか、言われたことをやればいいという「はい」という返事なのか、すぐに分かります。

村田  確かにそうですね。私たちとしては、いろいろな方から「こうしたい」「こんなことはできないか」とご希望がある時に、イエスとノーはどうしてもあります。イエスの場合は良いですが、ノーの場合はできないことを伝えるだけではなく、代わりになることを提案してあげなければならないと思います。やりたいことを頼むのだから、ノーと言われたら困ることは分かっていることですからね。ですから、少し違う可能なことを伝えて理解を求めることは、舞台スタッフが考えなければできないことです。

― 理解していなければ、別の提案をすることができないのですね。

村田  そうですね。例えば「ここで暗転にしてください」という依頼だった場合、暗転にしなくてはいけない理由は何かと考えます。それが分かった上で、そのためには本当は暗転にする必要はないかもしれないことも頭に留めておかなければならないと思っています。実際に暗転にすると途絶えてしまうので、途絶えない方法を代案としてお伝えするわけです。

― そのひと手間を考えてくださる舞台さんは多くはないと思います。先ほど、ご自分でできる限りの「サービス」を提供するという表現をされました。ホールに関わるお仕事を、サービスとして考えている方と、業務として考えている方とでは、違うものに繋がっていきますね。

村田  弊社の仕事は、技術面と芸術面の両方が必要になります。例えば照明で言えば、スイッチを入れるという技術的なことに加えて、明かりをデザインするということも必要で、それは技術力とは違います。絵を描くことと同じように、描き方という技術点と、別に芸術点もあって、実はその芸術点を評価されることが多いのです。スイッチを押すことや何かの繋ぎ方のような技術力を持つことは当たり前のこと。それ以外に、こういう光を当てるとこんな風に見えますよ、ということは芸術点、それは担当者によって違うことですから、サービスと言えることではないでしょうか。

― 御社で働いている方たちは、皆さんそういう意識を持つようにしているのですか。

村田  なるべくサービスを心がけるように話しています。「たくみってどういう会社ですか」と質問を受けることが多いですが、確かなのは技術力の高い会社であるということです。ですが技術が高いだけでは、お客様に満足してもらえない。いい音が聴こえる、いい照明が見える、というのは、サービス力だと思っています。いろいろな方に接して、いろいろなことができる。だからサービスのバリエーションがたくさん無くては駄目なのです。

― 機械の前に座って操作をする仕事と思われがちですが、あくまでも人と接する仕事ですね。

村田  そうです。そして自己満足ではいけません。自分で綺麗な照明ができて良かったと思ってはいけない、お客様に良いと感じていただいて、初めてマルと思います。舞台技術についても、使う方にとって調子が良くなければマルとは言えません。

― 操作することは手段であって、目的は客観的にどのように評価されるかが重要という視点が必要なのですね。

村田  その視点がなければ、一方通行です。舞台におけるルールだけでは、できないことを伝えるだけで終わりです。単純に、舞台で火を使ってはいけません、と言うのは簡単です。でもどうしても裸火を使いたいなら、申請が通れば可能です。あるいは、裸火に見えるような照明を作ることもできます。方法はたくさんあるんです。

― ホールの貸館の場合、毎日違う人、違うジャンル、違うイベントがありますよね。一ヶ月前に打合せをして大体のイメージが分かるかと思いますが、それぞれの主催者達の意図とか、イベントの内容とか、引き出そうと思えばどこまでも引き出せるとは思うのですが、どこまで理解しようとお考えですか。

村田  全部聞いてしまいたいというのが本当です。こちらから押し付けることは一つもありません。ですが、慣れている方は上手に提案していただけるし、無理かもしれない希望も聞いていただける一方で、初めて舞台を使う方はその引き出しを開けることがとても難しいです。なるべく、隠れている部分を引き出したいと思うのですが、そこはコミュニケーション次第です。本番が始まってから「本当はこうしたかったのよね」と言われるのは辛いです。わがままでも良いので、まずは聞いていただきたいですね。皆さん、いろいろな想いを持って舞台を使っていただくのですから、その想いをぶつけていただいて、それを形にできれば良いと思います。

― いろいろなご希望をできるだけ汲み取って実現してほしいという気持ちがあるわけですね。

村田  当然あります。プロの演奏会でなくても、例えば子供の発表会だったとしても、ステージに立つ彼らには一世一代の一大イベントです。それを聴かれるご家族にとっても。それが大事なことだと我々社員はみんなそう思っています。舞台袖で緊張している子供に声をかけて、ちょっと明るくなったりすると嬉しいです。

― 繋がることかもしれませんが、お仕事で感じる醍醐味はどういったことですか。

村田  出演者様が舞台袖に「今日のお客様、良かった」と帰ってくるといいですね。お客様に満足いただくためには、スタッフがいい仕事をしなければいけませんから。お客様が感動されている様子を見て、出演者様がそれを感じてくれたということです。

― スタッフの仕事ぶりが、お客様の気持ちに繋がっていると。

村田  お客様の感動に大きく関わっていると思います。我々は裏方ですから、直接お客様をそんな風に思って見ることはありませんが、出演者様がそれを感じて言葉にされた時には、褒め言葉だと感じます。笑顔で舞台袖に帰ってきてくださるのが嬉しいです。



■今までの経験で嬉しかったこと、印象に残ること、感動したこと
村田  これというものはありません。毎日仕事を無事にやり遂げられれば嬉しいです。ちょっとでもお小言を頂いたり、自分で納得できなかった時には、次は気をつけようと思います。

― 次回に気をつけようという内容は、ご自分の中に蓄積されているのでしょうか。

村田  データとして残してはいません。頭の中に、あれが悪かったろうな、ここをこうすれば良かった、こういう風に伝えれば良かった、そうしたら進行がうまくいったのかもしれない。本当はそういう進行だと気づかなかった自分が悔やまれますね。舌足らずだったがゆえにうまくいかなかった、気が付かなかったがゆえにうまくいかなかった、そのちょっとのことが残念だなって思います。大きな失敗ということではありませんが、もっといい別の方法があるのに提案できなくて、そのことに本番をやりながら気がつくと、惜しいと思うこともあります。

― 若い時にできなかったことで、今はできているという実感があることはありますか。

村田  主催者様の持たれる信念はそれぞれですから、時には無理な演出を希望されていることもあります。我々としてはこうするべきだと感じる形があるとしても、先方のおっしゃる通りに合わせるという割切りも大事だと思います。こうしないと駄目だと決めてしまうのは、意味のないこと。そんな風に考えられるようになったことですね。

― 若い頃には自分の理想と感じる手段で進めてしまいがちですね。

村田  やっぱり一途なので、どうしてもそうなりますね。若い時は、会社の後輩達からすごく怖いって言われていました。声かけるのも怖いって。でも年をとると段々、周りも見えてくるようになる。一番大きな違いだと思います。

― 怖かったのですね。今でも変わらずに信念のようなものはお持ちかと思うのですが。

村田  僕が決めたのだから間違いないだろう、という部分はどうしてもあります。でもそれだけじゃないと気が付いたのは、やっぱり年を食ったからだと思います。どうしてこんなに偉そうなことを言うようになったのか。年を食ったから、経験をいっぱい積んだからなのでしょうね。

― いいお話です。感動したことは何かありますか。

村田  そうですね。仕事で感動するよりも、例えば演劇を見に行って感動することがあります。お客さんとしての感性は必要だと思っています。そうしないと一方通行になってしまいますので。自分がお客さんになって、この照明嫌だな、こういう演出嫌だな、とか。自分には合わないものをいっぱい見ることも勉強のうちですね。

― ご自身で鑑賞することがお好きだということは、きっと武器になることですね。

村田  はい。クラシックも好きなので、コンサートに行きたいなって思います。お前がクラシック好きにはとても見えないって言われましたけどね



■今後の目標、実現したいこと
村田  今は自分が現場に出ることは少ないので、育成ですね。

― 舞台に関わる仕事に就きたい若い方たちは増えていますか、減っていますか。

村田  やりたい人は一杯いると思いますが、地方に戻ってきてくれないことが残念に思います。東京や名古屋では大きい仕事が多くありますし、楽しいと思いますので。技術は口からでも本からでも覚えられますが、芸術点は覚えられません。いかに感性を広げられるような教え方ができるかが問われます。それに若い人はコンサートをたくさん見に行くことができれば、かなり違います。

― 村田さんは東京でテレビのお仕事をされていましたが、そうした経験も大きく影響するのですね。

村田  テレビの仕事の上では、作るための基礎的な部分は覚えました。若い人たちには、いろいろなことを経験することが大事だと思っています。若い人たちの感性で膨らませていけたらいいですね。

― 具体的にどのように経験する場を作っていらっしゃるのでしょうか。

村田  まずは、多くの現場に同行して見てもらうことですね。裏方とはどんなものかを感じてもらわないと始まりません。「照明って綺麗だな」では済まない。きれいに見えるための努力は、長い時間をかけて苦労して仕込んでいる、だからこそおもしろいことを知ってもらいます。

― 若い方たちに特に求めることはあるのですか。

村田  元気さ、受け答えがちゃんとできる、いわゆるコミュニケーションがとれる、自分の考えで話せるかとか。技術は後から覚えればいいことですし、やがて新しい機械が出たらまた覚えていくことです。技術は日進月歩で進んでいくものなので、それよりも、きつい仕事に耐えられるかどうか、半分趣味みたいにして舞台の仕事と関われるかどうか、楽しめるかどうかです。初めの数年は楽しくないかもしれませんが。

― 舞台のお仕事は、機械が相手、人との関わりが少ないと考えている方も多いかと思います。

村田  そうですよ。最初のうちは照明卓や音響卓の操作を覚えることがメインですが、いずれは人からいろいろな物を引き出して、それをどんな風に舞台に反映させていくかとなっていくわけです。楽器もそうですよね。どういう風に鳴らしたらお客様に美しく届くのかを知らなければ、演奏できない。独りよがりの演奏になってしまう。まったく同じだと思います。

― 大変よく分かります。

村田  あともうひとつ。個人的に感じていることですが、弊社で請け負っている舞台の仕事というのは、中間管理職のような立場です。ホールを借りていただく利用者様と、出演して演奏される方と、来場されるお客様と、ホールを管理している側と、それぞれの立場の方とのコミュニケーションを図りながら、間に立ってバランスをとる仕事です。時と場合によりますが、4者のせめぎあいの中にあって、皆さんに平等に対処することを求められます。我々はその真ん中で、できる限りのことに従事しているとご理解いただけると嬉しいです。

― 私たちも、ホールを借りてコンサートを開く当日には舞台さんに頼るしかありません。事務所の方とは事前お連絡を取るけれど、現場で直接お会いするのは舞台さんですね。利用者のことを思ってやり過ぎてもいけないし、大変だと思います。

村田  できることはやりたいけれど、できることに限りもあるし、利用者様のお支払の金額のことも気にしています。そして全ての利用者様に公平な対応をさせていただくことや、他のホールとも同様な対応になるように気を配ることもです。「前はこうしてもらった」とか「他の会館ではできた」と言われることは必ずありますが、設備上の違いもあります。それでも、ご来場されるお客様のために要求されるということは事実ですから、我々も努力を惜しみません。

― 県内でも古いホール、新しいホールとありますが、設備が新しくなっていくことについてどうお考えですか。つまらなくなったとか、便利になったとか、いかがでしょう。

村田  便利になったと思います。言い方は悪いですが、技術者が楽をするための最新設備なんですね。今まで何工程もあったことが、ボタン一つでできるようになります。そしてより的確で正確なものになっています。だからと言って何もすることがないわけではありません。新しくなったがゆえに、今までよりもっと良いことができるようになり、機能も効率もスピードも上がり、表現の幅はどんどん増えています。それも、最小限の人で最大限のことができるようになっていくことだと思います。



■プライベートなこと
― 最近接した催事で印象に残っているものはありますか。

村田  最近SPACさんの演劇を見に行く機会が多く、演劇の仕事をすることはあまりないので面白いです。照明、演出、舞台の使い方、なるほどと感じる部分が多いです。光も衣装も、動きのひとつひとつに意味があるように演出されていて、それを俳優さんやスタッフの皆さんが守っていることが伝わってきます。今までに無い物を見ている感覚です。例えば大道具の扱いとか、次の場面に行くために暗転して片付けて入れるのではなく、片付ける演出、入れる演出がされている。それがとてもおもしろい。新鮮でした。

― 趣味を教えてください。

村田  昔は多趣味でいろいろなことをしていましたが、今は国内旅行に出かけるのが趣味です。あまり行くことのないような変わった場所へ、一人旅をするのが好きです。自分で組み立てて、全て自分の責任で解決するのが楽しいです。旅先でよく寝過ごしたりするのですが、電車に乗り遅れて、次の予定に間に合わせるためにどうしようかを現地で考えて対応する自己責任が楽しいです。

― 表現は悪いですが、ひねくれていますね。お気に入りの場所はありますか。

村田  自然のある場所も好きなので、小笠原が良かったです。

― 好きな食べものはありますか。

村田  レーズンは嫌いですが、何でも食べます。まずいものに遭遇した時のがっかりはあります。期待しているのに、何でこんなにまずいのだろうと。店の人に文句を言って帰ることもありますね。

― お店も演出の場ですよね、がんばってもらわないと。

村田  そうですね、偉そうなことを言っているような気もしますが、実際の出来上がりは別のことで、理想は理想として思っています。



― お仕事の宣伝・・・というより、SPSたくみさんでの事業や経歴についてお伺いします。村田さんは第2事業部の所属ですね、具体的には何をする部署なのでしょうか。

村田  はい、会館管理が第2事業部です。第1事業部は本社のいわゆる技術職、第3事業部では設営やデザインを担当しています。

― 静岡県内のほとんどの公共ホールの舞台を担当されていますね。その中で3箇所、行かれていますね。

村田  20箇所近くの施設に携わっています。私はその中で沼津市民文化センターと焼津市市民文化会館、そして清水文化会館マリナート。どこも新規オープンの時に担当しました。

― オープンの際のご担当だったのでしょうか。貴重なご経験ですね。

村田  たまたまだと思います。でも3つ立ち会うのは珍しいことでしょうね。そんなにホールが多いわけではないですから。マリナートは設計図が白紙の段階から携わりました。予算などの制約はありますが、ある程度は現場の声を聞いていただいて出来たホールです。劇場コンサルタントはいらっしゃいましたが、舞台を任されるのが私らだと分かっていたので、静岡県の人が使う上ではどうかということを一つずつ検証しながら進めていただきました。

― それはホールを造る上ではあまりないことなのでしょうか。どんな風に反映されましたか。

村田  楽しかったですよ。例えば当初の設計では、現在のマリナートの楽屋の位置には、一般来場者様用の階層式の駐車場が出来る予定でした。そして楽屋は大ホールの客席の下にする設計でした。でもそうすると、楽屋を出てステージに立つ向きが反対になるので、印象が変わってやりにくくなるだろうということになって。そういうことを吟味する過程から就いていました。

― なるほど、実際運用していく人たちだからこそイメージできることがいいですね。

村田  設計のコンサルタントの方々にも、地方の使い勝手について聞かれました。舞台の設備や機構、照明や音響。私は照明と舞台を半分担当していたのですが、照明の操作卓の表示板の色を何色にするかとか、警告だから赤がいいねとか、どんなスポットを入れましょうかとか、平台の数はどうしようかとか、置き場所や予算を考えて決めましょうとか。設計さんと一緒にどんな雛形にするかを検証したりしました。

― 沼津や焼津のホールではそこまで入られなかったですか。

村田  他のホールではもう出来あがっていて、オープンの3ヶ月前くらいに入って、一通り使い方を教えてもらうスタートでした。できたもの、あるものを使っていくということでしたから、その時の経験を踏まえてマリナートを造らせていただきました。

― それまでに困ったことや、こうだったら良かったと思っていたことを、マリナートで吐き出せたということですね。

村田  そういう部分が多いです。いろいろな制約がありますから100パーセント完璧なホールはできないですけど、その中で困らないホールを目指して造ったつもりでいます。運営面も含めて、今までのホールに捉われない考え方、民間的な考え方でできています。県内では唯一です。同じような仕組みの公共ホールはこれから増えていくのだろうとは思いますけどね。

― これからのマリナートのがんばり次第ということですね。

村田  そうですね、全国からの視察も多いです。運営に関する視察も多いですし。マリナートはみんなが楽しんでやれたような感じがして、すばらしいことだなと思っています。県内で一番違うのは、施設利用の申込みの受付の方法ですよね。事前受付はマリナートだけですね。抽選のために月初めの日に並ぶこと、負担ですよね。北海道の人が借りたい時はどうしたらいいかとか。そういうことも、今のマリナートの方法は良い方法だと思います。良く考えたなって思いますよ。

― ホールを利用する立場の方たちの意見が多く反映されたということで、私たちもありがたいと感じることはたくさんあります。マリナートについては話が尽きません。
今日は長い時間、ありがとうございました。



■村田裕輔 (むらた ゆうすけ)
静岡県藤枝市出身。東放学園専門学校照明コース卒業。株式会社エスピーエスたくみに入社。1982年沼津市民文化センター、1985年焼津市市民文化会館に勤務。1987年(株)エスビーエスプロモーション出向。2012年清水文化会館マリナートに勤務。現在は本社に勤務。取締役・制作営業本部長。
エスピーエスたくみ http://sps-takumi.co.jp/



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