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 初めてお会いしたのはコンサートの事前打合せ、静かで控えめな印象でした。本番当日は、私たちの動きを感じながら、状況に応じてさりげなく自然にサポートしてくださいました。出演者や主催者の意図と目的、想いを尊重することからスタートし、落ち着いた質の良い空間へ導いてくださっていると感じます。それらの配慮がコンサートの成功やお客様へのサービスに繋がっているのだということを実感でき、毎回多くのことに気づかされます。理想的なステージマネージャーのお一人だと思っています。直接関わりのない演奏会の質問や相談にも丁寧にお答えくださり、頼りがいのある、且つ、繊細な心配りの人物です。
  (インタビュー:2015年3月28日) -文・構成・写真= 蓑島晋・畑中洋子(シン・ムジカ)-




■出会いとお互いの印象
― 最初にお会いしたのは2009年9月の「第13回英国歌曲展」(テノール辻裕久、ピアノなかにしあかね)だったと記憶しています。

小林雅耶(以下「小林」)  私のデータベースを確認しましたら、その前の2008年5月に「なかにしあかね作品展」の進行表に「舞台:蓑島」とありましたので、その公演の打合せが初めですね。舞台の転換が結構大変だった記憶があります。

― 失礼しました。そういえば、演奏者が大勢いらっしゃった公演ですね。大変だったけど、なぜか覚えていないなあ、何か私のこと覚えていらっしゃいますか。印象とか。

小林  あまり覚えていませんね。

― お互い覚えていないというのは・・・。

小林  私が意識したのは、2011年の「第15回英国歌曲展」の時です。当時は手帳に公演の記録をしていましたが、そこに「しっかりやってくれて・・・」って書いています。「お土産をいただいた」も。

― “まんじゅう”かな。しっかりというのは、特に問題はなかったということですかね。ちゃんと記録されているのですね、最初のうちからですか。

小林  王子ホールに来て半年くらい経ってからだと思います。最初はノートで、途中から日付の入った手帳に書いていましたが、日によって書き方が揃わないので、今は決まったフォーマットの用紙に記録してファイリングしています。

― ホールで用意されている用紙ですか、それとも小林さん自身で作られたものでしょうか。前年のものを見直したりできますね。

小林  用紙は私が作ったものです。ファイリングしてあるものとは別にデータベースとしてパソコンにデータがあり、データベースで出演者を検索して、過去にデータがある場合は公演の前に見直します。ピアノの位置・椅子・蓋のこと、客席の明るさ、マイクの置き方や場所、出ハケのタイミング等もありますね。これとは別に照明さんも記録がありますので、曲ごとの明かりの情報が全て記録されています。

― なるほど、いつも準備が完璧ですものね。



■現在の仕事に就くことになった経緯
― 現在のお仕事に就くことになった経緯やきっかけを教えてください。

小林  中学、高校と吹奏楽部でした。高校は全国大会に出るような有名校で、コンクールが近くなると、公共のホールを借りて練習をしていました。授業が終わってから放課後、ホールに移動して22時頃まで練習して帰るという日々でした。毎日同じ会場ではないので、その都度トラックの荷台に楽器等を積み込み、色々なホールで練習をしていました。顧問の先生がオーケストラのマネジメントを経験している先生だったので、ホールを使うことも上手くできていたのですが、3年生になる時に異動してしまい、残った先生はそういうことができなくて、部長だった私がホールの人とやり取りしなくてはならなくなりました。ホールの人と接する中で感じたことは、学生、アマチュア、音楽団体、3つ揃うと、まともに相手にしてもらえないということでした。ですからホールのスタッフになって、音楽をする人に優しいスタッフになりたいと思うようになりました。

― マイナスな印象からのスタートだったのですね。

小林  かなりマイナスでしたね。学生だからというのも分かりますが、みんなが邪険に扱われて悲しかったです。逆にその中で一番中心的に利用させていただいていたのがパルテノン多摩でしたが、地元の学校ということで定期演奏会をホールの主催公演にしてくださったり、いつも親切に対応してくださったりと、何かと応援していただきました。そうしたお付き合いがあった中、1995年1月の阪神大震災が起きて、チャリティコンサートを開催することになりました。当時の吹奏楽コンクールの全国大会は土曜に高校、翌日曜に中学というスケジュールで、せっかく全国大会出場の人たちが集まるのだから滞在している間にもう一公演しようと、パルテノン多摩が主催して、チャリティコンサートを企画したのです。私は高校生の代表で、パルテノン多摩に夜遅くまでいて準備していました。印刷機を借りて毎晩チラシの3色刷りとか。忘れられないのは、誕生日の日に徹夜してそのまま学校に行ったことですね。

― そういうことは楽しかったですか。

小林  楽しかったです。パルテノン多摩をよく利用させていただいていたから隅々まで知っていましたし、以前に、今でも続いていますが、浜松で同じような規模の大会を経験したことがあったので、それをベースに考えて、多摩で実現しようとしたのです。しかし、参加校がはるかに超えて大変なことになりました。全国大会の翌日ですので、出演校のほとんどはバスでホールに来ることになっていて、さらに楽器を載せたトラックも来ていて、それらの車両を全部誘導しなくてはならないのです。ホール脇の2車線道路の1車線にバスが並ぶような段取りとか、当日は駐車場を取り仕切る係でした。高3なのに。

― 免許も無いのに(笑)。スケールが大きかったのですね。

小林  そうでしたね、そういったことを高校生で経験できたのは貴重なことでした。高校を卒業してからは短大に通っていましたが、後輩たちの演奏会がパルテノン多摩で度々あって、私はOBとして手伝いに行ったりしていました。そうした時にスタッフさんたちとお話する機会もあって、その舞台管理をしている会社に就職しました。

― 何かと接点があったのですね。



■「ステージマネージャー」という仕事について
小林  入社後はパルテノン多摩で一年くらい研修をして、その後に市内の公民館に勤務したりパルテノン多摩に戻ったりして、2003年の4月に王子ホールに来ました。

― もう10年以上ですね。ステージマネージャーという役割は、王子ホールが初めてだったのですか。

小林  そうです。2日ほど引継ぎのようなものがあり、A4の紙1枚にやることが書いてあっただけで、以降は教えてくれる人もおらず、全く分からない状態でスタートしました。

― 最初のうち、特に困ったことや分からなかったことはどんなことでしたか。

小林  印象に残っているのはステージの扉の開閉です。教えてくれる人がいなくても、当然開け閉めをしなくてはいけないのですが、特にアンコールの時にはどういう状態にするのか、演奏者が舞台袖に戻ってから一旦閉めたほうがいいのか、開けたままにするのか、そういうことすらわからなかったですから・・・。それを舞台袖にいらした調律師さんが、その場面は閉めちゃ駄目と教えてくださり、私にとっては、調律師さんたちが先生で、皆さんがいなかったらできなかったでしょうね。一番初めの主催公演は、ギドン・クレーメルのトリオだったと記憶していますが、椅子が全部きしんで休憩中に取替えをしたり、アンコールが終わって客電を上げてからもう一度ステージに出たり、一回目にして色々な事が起きました。

― 恵まれた環境とも言えますが大変でしたね。ステージマネージャーがいるホールは多くはないと思いますが、ご自身が仕事をするようになってから、他のホールでのコンサートの見方は変わりましたか。

小林  見方は変わっていますが、当初は余裕が無くて外へ行くことができませんでした。不慣れな環境でもあって、毎晩ロマンスカーで帰宅して、ビールを飲みリセットするような日々でした。照明さんがとても厳しい方で、最終的にはその方がいろんなことを教えてくれたのですが、最初は本当に厳しくて、半年間はストレスを抱えた毎日でした。

― その頃と比べると今は全然違っていると思うのですが、ほぼ毎日コンサートがある中、どのような準備をされるものですか。

小林  初めの頃だと、複数の演奏者がいる場合は全曲の編成を辞書で調べました。そして、ホールの楽屋の壁に演奏履歴の写真が飾ってあるのですが、あの中から近い編成のものを探して参考にしました。だからあの写真も私にとっては先生です。今は、演奏者の過去の公演のデータを見たりします。ピアノを使う場合は演奏者によってピアノ位置の特徴があるので、それに応じた準備をするようにしています。

― 毎日違うから、それぞれに応じた準備が必要ですね。ですが、ガチガチの準備はされませんよね。

小林  そうですね、準備しすぎないことも必要と言うことですね。本当によく知っている方ならコミュニケーションがとりやすいので良いのですが、通常は頭で決め付けてしまうと、次の瞬間には当然予定外のことが起きますので、フレキシブルに対応できる余力はなるべく残して、ざっくりとできるようにしています。

― 使用頻度の多い方と、まさに初めて利用される方と、具体的に違う点はどんなことでしょうか。

小林  基本的には同じであるようにしています。初めての方の時は、特に様子を見ながら進めていかなくてはいけないと思うのですが、それでもピアノの調律師さんは既にお会いしている人だったりするので、演奏者が来場する前に少しお話を伺うこともあります。どんな方たちと繋がりがあるのかを聞けると、大体が分かってきます。

― なるほど、人間像が見えてくると楽になってくる、ということですね。

小林  はい、人物が分かってくると楽になることもあります。

― 以前に小林さんから「お客様の拍手をコントロールするのはステージマネージャーの役目だ」と伺ったことがありましたが、もう少し詳しくお話いただけますか。

小林  拍手をコントロールするというより、拍手を始めやすくすることを上手に促すということが、ステージマネージャーとしては必要なことなのでしょうが、あまりに細かくやりすぎても、いやらしくなってしまいますね。

― 演奏者が入場する時に、お客様の拍手を誘うというのは想像ができるのですが。

小林  特に歌の公演の場合にあるのですが、例えば拍手無しのまま一曲目を演奏したい、というオーダーがあったりします。そうした場合に、ステージを明るくして入場すれば確実に拍手を頂きますから、暗いままで静かに入っていって演奏を始めてもらう、そういった環境を整えることは、コントロールだと言えますね。

― そうした工夫を凝らすということですね。もうひとつ、アンコールをした後に退場してから、もう一度ステージへ出ていただいたほうがいいかどうか、私は未だに迷うことが多いのですが、いかがですか。

小林  それはやるしかない、お客様との対話だと思っています。ある交響楽団の方が本にされていますが、同じホールであっても拍手の音が高い低いとか、粒が細かい荒いとか、そういうことからお客様の様子が伝わってくるようです。私は、よく冗談で「てんぷら」の揚がり具合に例えています。今日は泡がたくさん出ている、大きな泡、細かい泡、勢いは無いけどずっと続く長い泡とか。拍手をそんな風に表現したりします。

― 演奏者の方からたまに聞くことがありますが、今日の拍手はいい拍手だとか、その場で感じる違いがあるということですね。

小林  そうですね。演奏者の方によりますが、舞台袖に戻ってから、しっかり拍手を聞いていらっしゃいますね。しっかりと演奏会に向き合っていらっしゃる方は、そうしたものを感じることを大切にしていると思います。ですからステージに出るかどうかは、そういう全ての状況から判断しますが、毎日難しいところですね。

― これも毎日が違うと言うことですね。そういった中で、変わらずステージマネージャーとして心がけていることはありますか。

小林  心がけていることはいろいろありますが、一番は演奏者その人と、音楽に寄り添うことですね。演奏者によって全く違うので、その方がどうやりたいのかということをなるべく汲み取って実現できるようにすることですね。

― どんな風にして演奏者のイメージや想いを引き出すのでしょうか。

小林  会った瞬間に感じることもあるでしょうし、全て伝えたい方もいらっしゃるので先方の様子に合わせますが、根本には音楽があることなので。まずはリハーサルの間の演奏者の所作で色々なことが分かってきます。リハーサルを聴くというのは、音楽やバランスを聴くことはもちろんですが、その方の動きを見て、その過程で気づいたことを広げていきます。当然直接聞かなくてはならないこともありますが、まずは、「予想する」、「読む」ことですかね。しっくりくると楽しいし、違っていたら寄せていくことも手ごたえを感じます。開演直前に指摘いただいて、違っていることもありますが・・・。

― 良かれと思って準備していたことが、望まれていることではなかったということ、よくありますね。

小林  そうですね、それぞれの人によって、あるいは教育を受けてきた場所によって、当たり前ですが全然違います。日本特有のことというのもありますね。例えば日本だと、演奏者自身が譜面をもって入場するのはよろしくないというイメージがあると思うのですが、以前コンサートを主催のスタッフさんが先回りして譜面をステージの譜面台にセットしておいたら、舞台袖で演奏者から「あの楽譜もう少し見たかったな」と言われてしまうことがありました。多くの場合では気の利いた配慮であったとしても、演奏者によっては余計なこともあります。また同じステージに立つ演奏者が共通の準備を望んでいるとも限りません。だからその環境も含めて想像しています。

― たぶん日本人はやりすぎなのでしょうね。海外だとそこまでやらないと聞いたことがあります。

小林  海外の演奏家と仕事をさせていただくと、やりすぎたと感じることがあります。そうした違いはありますね。それから海外の演奏家は、海外で活動されている日本人の演奏家もですが、こちらを「人」として扱ってくれるので嬉しいですね。

― そういうこともあるのですね。

小林  そうなんです。日本ではホールのスタッフというと立場を下に見られがちなのですが、海外の方の場合は対等に接してくださる、そこは大きな違いですね。

― 小林さんのようなステージマネージャーや舞台スタッフ、舞台袖で演奏者と一緒にいる人たちは、経験や気が利くかどうかということも必要かもしれないけど、もっと根本の素質のようなものが必要な気がしますが、いかがでしょうか。

小林  どうなのでしょう。人が好きだということかな。人とコミュニケーションをとることが好きな人なんじゃないでしょうか。あとは、その環境の中でどれだけ成長できるか、恵まれた人たちと会えるか、仕事をさせていただけるか、そういうこともありますね。

― この人と出会って自分が変わった、というような方はいますか。

小林  そうですね、色々なスタッフの方、主に調律師さんたち。それから先ほどお話した照明さんには特に厳しく指導を頂きました。当時は毎日社食で一緒に食事をしながら、いろんなことを教えてくれました。「ステージマネージャーがスーツを着て仕事をする理由が分かるか」「知りません」「出演者と対等になるためだ。音楽大学で何を勉強してきた」って。厳しいし、同じ話を何度もするし、でも、合っているかは当時はわからなかったけれど、言っていることは理解できたので、なるべくこの人についていこうと思っていました。

― かわいがってくださっていたのですね。

小林  後から聞いた話では、私のいる会社の人間にステージマネージャーを任せるのはきっと無理だと思っていたそうですよ。それが、演奏会が始まってから終わるまでにいくつか照明の明かりが変わっていく演奏会があったのですが、私がそれを把握して照明さんからの疑問に全て返答できたことがあって、ステージマネージャーで照明のことが分かる奴は初めてだって思ってくださったそうです。本当は、公民館にいる時に違う照明さんが詳しく仕組みを教えてくれて、スタッフが少なくて私も操作していたことがあったからなんですがね。



■主催者側の舞台袖スタッフの必要性や役割、業務バランスや理想的な関係について
― 演奏者とのコミュニケーションについては先ほどお話いただきましたが、主催者側の運営スタッフとの関係についても伺いたいと思います。貸しホールの公演で主催者側から舞台袖に付くスタッフがいらっしゃる時は、どのように接するのでしょうか。

小林  舞台袖のスタッフをされる方は演奏者から依頼されてくることがほとんどで、日々状況は違うのですが、何かしら頼まれていらしているわけで、私はその人に付いて働くことを心がけています。色々な考えの方がいるし、時には間違いだと感じることもあります。でも演奏者にとっては、私はたまたまホールにいたのであって指名されたわけではないですから、こちらの色を出しすぎてはいけない、それぞれの方のカラーに染まるようにしなくてはいけないと思っています。

― 主催者側のやり方でミスに繋がらないようなフォローをするということですね。

小林  そうですね。色々な場合がありますが、このホールならではのこともあります。プロのステージマネージャーの方がいらっしゃることもあり、経験豊富な方たちなのですが、多くはオーケストラの仕事をされていて、室内楽の公演の機会はそれほどありません。ですから省略されたり見落とされたりする事もあって、ほとんどの場合は問題ないのですが、私は念のため必要だと感じたら、一応の準備だけはしておくということがあります。あまり出過ぎてしまうと良くないので、皆さんの様子を見ながら考えます。

― それは、正直なところ、かえって手間がかかりますね。そうすると、主催者側の舞台スタッフとしてつく人に求めること、期待することはありますか。

小林  それは何もありません。いてくださって、困った時に言って下されば…と思います。

― 実際には、舞台袖につく方と演奏者との意思の疎通ができていないというか、ずれがあることもあるかと思いますが。

小林  そうですね。よくあるのは、演奏者のお弟子さんが舞台袖についてくださる時でしょうか。お弟子さんは舞台に慣れていない方もいらっしゃいますし、当然先生には聞きにくいことや伝えにくいこともあるでしょうから、私が直接確認させていただくこともあります。そんな時は、こちらからサポートいただくことをお願いすることもあります。結局私は演奏会が終わるまでのお付き合いですので、限られた時間の中、全身全霊を傾けてやるしかないと思っています。

― 王子ホールでの公演のときは、大体のやりたいことを小林さんにお伝えしておけば、やりたいようにさせていただいて、抜けていることはカバーしてもらえる、と勝手に思っています。

小林  そこがホールのステイタスというのか、各ホールに「ここで公演をするならこれ位のレベルのことができていなくてはいけない」ということがあると思うのですが、それから逸脱しないようにサポートする努力をしています。



■ステージマネージャーの魅力や醍醐味
― ステージマネージャーをしていて、嬉しいことや醍醐味などはありますか。

小林  王子ホールはあらゆる面で恵まれた環境だということはありますが、それよりも、主催者の希望を具体化できて、舞台として成立させることができて、満足いただけるというのが一番嬉しいですね。それは、他のホールの仕事に付く時も同じで、ホールに関係なく感じることです。

― 目標としていることはありますか。

小林  いろいろと考えた結果ですが、淡々と毎日務めていくこと、どんなことがあっても普通に務めていくこと、そういう仕事かと思っています。

― 派手な成果を残すものではなく、何もなかったかのように毎日の公演に携わっていければ大成功、ということですね。

小林  評価をしていただくのは辞める時かもしれませんね。当然、ありがとう、お疲れ様、って声をかけていただくことはありますが、ステージマネージャーとは淡々とやっていくものだと、と考えています。

― そうしたことをお手本とする人はいますか。

小林  目立たないこと、何もないことが当たり前というように仕事に取組んでいらっしゃる、他業種の世界が色々あります。そういう方たちの様子を見たり、本を読んで情報を得たりしています。

― 具体的にはどんな分野の方々ですか。

小林  強いてあげるなら、ホテル関係は意識します。厳しかった照明さんに「ここ(王子ホール)はホテルと一緒だから、同じようなサービスをしなくちゃいけない」と言われたことがありました。でも25歳の時に、どういうことをすればいいのか分からなかったので、ホテルのサービスについて書かれた本を片端から読みました。具体的な所作や心構え、立ち居振る舞い、公開されているルールもあったので参考にしました。例えばピアノの準備については、位置をデータにするまではしていましたが、ピアノの椅子の種類とピアノ椅子の高さも記録するようにしました。ホテル西洋銀座のヘッドバトラーの方の本に書かれていたのですが、バトラーサービスという特殊なサービスがあって、お客様の引継ぎ書に使用した椅子の種類やレイアウトを全て書き込むシートがあり、次回も同じ椅子・配置になるように準備しているとあって、同じようなことをしなくてはいけないと参考にしました。

― 照明さんは別として、小林さんがステージマネージャーとして働くことはご自身で切り開いてきたのですね。

小林  ステージマネージャーとしてはそうですね。ピアノについては、ピアノの位置、好みの椅子の種類、椅子の高さ、ピアノの蓋の開ける位置などを記録につけるようになりました。何度も来館されている方に毎回聞くのもよろしくないと思いましたので。ただ逆に、オーバーラップして自分の範囲を超えたほうが良いのか、与えられた域を超えないほうが良いのか、どちらが正解なのか悩むところです。ホテル業界の場合でも、リッツカールトンはオーバーラップしたサービス、ペニンシュラは境界を越えずにバトンを渡していくサービス、それぞれの方式をとっていて、私の場合はどちらか良いほうを判断して、時々に応じた対応ができるように意識しています。

― すごいお話ですね。

小林  もともと父親の影響で、私も弟も妹も子供の頃からサッカーをやってきました。サッカーもチームプレイで、ポジションもあるし、チームワークということを良く考えるようになっているという気がします。

― 日本代表になられた妹さんですね。だんだん音楽業界の人と話している気がしなくなってきました。(笑)

小林  妹は今年の元旦に引退しましたけどね。ホールもひとつの運営組織なので、うまく組織として運営できるかどうかに重きを置くように意識しています。当然それぞれのスタッフに役割があるということですね。僕は司令塔じゃなくて、理想はみんなが前向きに、同じ方向を見て、どんな風に取組むかを決めていくようなチームが理想なんじゃないかと考えています。だからなるべく、演奏家とステージマネージャーはフラットな関係を保てること、そして照明さん、音響さん、みんなと同じ状態、同じ立ち位置、対等な関係でいられることが理想です。ちなみにホテル業界では、星野リゾートはピラミッドの構造でなく、フラットな組織を心がけてシステム化しているそうです。

― レセプショニストの皆さんとの連携についてはどんなことに意識されていますか。

小林  意識していることは、彼らには二つの目しかなく、見えた状況で判断していることです。だけど舞台袖にいる私には5画面のモニタがあって、ステージを除くと4箇所の映像を見ることができます。そこで、彼らには状況を確認しきれないことを、なるべく情報として伝えるようにしています。特に開演直前には、1階にお客様が来たことを知らせて、エレベーターで2階へ着いたらその方まで客席に案内してから始めます、という感じで。

― そうすると、開演までは舞台袖にいながら受付をしていることと同じですね。

小林  でも開演直前だけの話ですから、そうでもありません。300人の客席だからこそ、お客様一人ひとりに目を配ることができるし、意識しなくてはいけないということですね。特に主催公演の場合は、1階にお客様が見えたときにはその方が席に着くまでは開演しません。アーティストにも理解をいただきながらですが・・・。

― 開場の時には、レセプショニストさんが主導とお考えですか。

小林  そうです。私は通常、開演の10分前に袖にスタンバイするようにしています。しかし必要に応じて、開場中ずっと袖にいる場合もあります。それはケースバイケースで。アクセルの踏み方というか、運転の仕方、素質というものかもしれませんが、1~2%踏めばいい時もあれば、150%踏まなくてはいけない時もある。日本人って、例えば常時舞台袖にいることが美徳だと思われたりしますよね。他のホールでも、ずっといていただけるホールもありますが、本を読んだり、パソコンをしたりと、それなら私はいないほうが良いと思っています。

― 小林さんが秀逸だと感じるのは、いて欲しいと思う時にいてくれることです。他の場所だと、リハーサルが始まると当然に舞台さんがいなくなって、必要な時にたびたび電話をすることになります。逆に、舞台さんがいないタイミングで出演者さんと話したいということもあって、どちらもちょうどよく対応されている印象です。

小林  その日のスケジュールや出演者を見ながら、リハーサルの流れとか、キーマンになるのはどの方かなとか、いろいろ見計らいながら行動するようにしています。舞台袖に電話はありますが、電話をしなくても良いようにと心がけています。



■プライベートなこと
― 好きな食べ物はありますか。

小林  好きな物は特にないです。美味しければ何でも良いです。自分にないカテゴリーのものや、予想外のものに出会えれば感動に繋がりますね。その体験は仕事でも言えるかもしれませんが、自分の想像をはるかに超えた未知のもの、予想を裏切るものを食べたいと思っています。

― お仕事のときは、お食事はどうされていますか。

小林  お弁当が多いです。開場中に買ってきたり、最近は自分で作って来ています。夜公演の日の昼は外で食べられます。銀座は色々なものがあってすばらしいです。



― 子供の頃の夢を教えてください。

小林  父が鉄道のメンテナンスの仕事をしていたので、運転手さんとか車掌さんとかになってみたいなと思っていたことがありました。車庫で誰もいない車輌に乗せてもらったりしました。だいぶ子供の頃の夢です。



― 最近接した催事で印象に残っているものはありますか。

小林  行かなくちゃと思っているのは美術館です。それから最近だと、サッカー観戦。妹の引退試合になるので、元旦の女子サッカーの決勝戦を見に行きました。それが最後なのに出場しなくて、監督さんを恨みました。寒い思いして行ったのにな・・・。

― 本もよく読まれているようですが。

小林  そうですね。本を読むことについては、読むだけだとインプット、吸収することですが、それをアウトプットすることはありません。私が卒業した高校で、現役の吹奏楽の定期演奏会が毎年ありますが、その時のステージマネージャーをやらせてもらっていて、他に1~3年目の卒業生が手伝うのですが、彼らの面倒を見ています。自分も高校生の時に色々なことを教えてもらってきましたので、若い人たちになるべく分かりやすく、演奏会をやるには、どのような組織をつくり運営していくことが必要か、ということの組織づくりに取組んでいます。会議はどのようにするのが効果的か、伝えたいことはどう伝えればよいか、色々な本を参考にして、アウトプットする場にしています。今回もすごく大変なのですが、若い世代でやれるようにしてあげたいと思っていますし、私にとっては趣味みたいになっているかもしれません。

― お話を聞いていると、若い方たちよりも小林さんの努力のほうが大きいですね。時間も割いていらっしゃるし。

小林  時間割いていますね。その組織のリーダーがいるのですが、次回の会議までに必要な資料が準備できるように話をしたりします。ただそうしたことも演奏会という軸の中でできることなので、楽しいと感じています。仕事ではやらないことですが、プログラムの作成にも携わることがあって勉強になります。最近は現役だけでなくOBも演奏をするようになったのですが、印刷物に細かい先輩がいて(笑)、原稿に赤を入れたりしながら、何で俺プログラムのチェックしてるんだろうなーって。その苦労を知ると、仕事でプログラムが出来上がってくるたびに、それに携わった人たちの顔が見えてくるというか、粗末にはできない思いです。

― お仕事の仕方も変わってくるということですね。

小林  変わります。演奏会って、たくさんの人が携わっているということを意識するようになり、仕事で関わる演奏会ひとつひとつの重みも変わりました。



― 好きな音楽家や作曲家はいますか。

小林  作曲家だと、あまり難しくない曲の方がいいかな。ホールでステージマネージャーをやっていると、全部分かっていると思われるかもしれませんが、知らない曲もたくさんあります。聴きながら感情が入ってしまったり、イメージを作りすぎてしまったり、後々じゃまになってくるので、あまり溜めないようにしています。

― クラシック音楽が特別お好きだったわけではないのですね。

小林  もちろん聴く機会はたくさんありますし、広いジャンルで音楽も好きですが、クラシックに関わる仕事というよりも、舞台の仕事が好きです。まあでも、音楽に寄り添っていることが好きですね。

― なるほど。吹奏楽で演奏してきたということは、クラシック音楽とは別の世界というか興味になりますね、合唱についても同じだと思っていますが。

小林  そうなんですよ。現代曲が得意な高校で、3年生の時はメシアンを演奏しました。日本人に限らず海外の作曲家や現役のプレイヤーの方からご指導いただくことも多くて、高校生の時に、いい音楽を演奏する機会を与えられたことと、演奏会に対して演奏者が持つべき気持ちを教えられたこと、そういう環境で過ごしたことが私の原点なんですよね。

― 長い時間、ありがとうございました。


■小林雅耶 (こばやし まさや)
銀座・王子ホール、ステージマネージャー((株)フラットステージ所属)
東京生まれ、東京都立永山高等学校卒。1998年洗足学園短期大学音楽科コントラバス専攻を卒業し、(株)フラットステージに入社。パルテノン多摩、多摩市内の2つの公民館勤務後、2003年4月より王子ホールに勤務。日本屈指のスペシャリストとなるべく精進中。



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