ブログ (音楽)

A.クラウス~オペラ歌手20人が語るその芸術と人生

2014年5月5日(月)

興味深く読ませていただきました。
心に留めておきたい内容の一部を紹介します。

◆ブラヴォー/ディーヴァ(アルファベータ 社)
オペラ歌手20人が語るその芸術と人生
ヘレナ・マテオプーロス著 岡田好惠訳
http://www.alphabeta-cj.co.jp/20/art_bravo.html

≪アルフレード・クラウス≫より
1983年に、フィレンツェで≪ランメルムーアのルチア≫エドガルドを、トリプルキャストで歌った時には仰天したとクラウスはいう。あとの二人は両方ともテッシチューラを半音下げて歌ったのに、そのことが批評欄にさえ取り上げられなかったのだ。「まるで違いが、まったくなかったような扱いでした!けれども、最終幕を半音下げて歌うのと、ドニゼッティが書いたとおりに歌うのは、まったく意味が違います。これがわからないということを、私は重大視します。要するに批評家も聴衆も同じく、歌唱とは何かということを学ぼうとしなくなりだしているのです。彼らは、今日自分たちが聴き慣れているのが、あるべき歌唱だと思っています。けれども、それは間違いです!歌唱芸術とは、こんなものではありません。これは歌い方、あるいは少なくとも、あるべき歌い方ではありません。けれどもいまや、聴衆も若い歌手たちもこれがわかりません。優秀な教師が払底して優秀な歌手がいなくなり(優秀な歌手が払底したため、優秀な教師もいなくなったわけですが)、歌唱芸術の真の伝統を継承する、生きた輪が壊れてしまったためなのです。」
聴衆を教育するのが、歌手の役目だとクラウスはいう。たとえ大衆レベルでの〈ポピュラー性〉が不足していたとしても、高度な演奏をするべきだ。歌手が常に自己向上を目指すことによって聴衆のレベルも上がり、ひいては皆がオペラと歌唱芸術を深く理解することになるはずだと、彼は信じている。「歌手にとって、様式の完璧さもラインの純粋さも考えず、自分の声をそのまま伝えるのは楽なことですし、聴衆もそういう公演を簡単に受け入れてくれるでしょう。もちろん、百パーセントの聴衆が、我々の試みを理解してくれるとは、けっして思いません。けれども芸術家は同時に教育者として大衆に流行の上を行くレベルを教える義務があるはずです。我々歌手は〈聴衆におもねる〉代わりに、聴衆の中にいる高レベルのひとたち、(それが5パーセントか、20パーセントか、1パーセントかはわかりませんが)を対象に歌うべきです。けっして社会的な〈スノップ〉という意味ではなく、質と秀逸さという意味で、私は〈エリート主義〉を深く信奉しています。歌手が、その努力を真に理解してくれるごく少数の聴衆に向かって歌い続ければ、今は秀逸と平凡の差もわからずにオペラを聞いている大多数のひとびとも、やがて必ず、レベルアップするはずです。今すぐとはいいませんが、いつかは必ず。こういう発言が万が一、反感を買ったとしても、私はかまいません。私の使命は芸術をあたえることです。聴衆が私のところへくるのであり、私のほうから歩み寄るのではありません。こうすることが、歌唱の未来へ何かを遺すための確実でやりがいのある方法なのですから」。
いやしくも歌唱芸術を理解し、その未来を憂慮する人は誰も、この厳格で献身的で決意に満ちた一紳士が呈する、高潔で重大な苦言に賛意を唱えずにはいられないだろう。

『新交響楽団第225回演奏会』に行きました。

2014年4月7日(月)

ひさしぶりに「新響」の演奏会に行くことができました。東京芸術劇場はリニューアル内覧会(2012.8)以来の訪問ですので、なんと改修後のホールで聴くのは初めて。改修前から客席のピッチ(座席幅)は広く快適でしたが、あらためて座席幅の広さと高さ(段差)の適切さを実感し、ステージへの視界も良好で気持ちよく鑑賞できました。(今回は1階席後方に座りました)気のせいかもしれないけれど、音響は以前より明瞭度がアップし、立体的に聴こえるようになったという印象でした。いずれにしろ好きなホールです。
さて、新交響楽団の維持会員となって約10年、私が委員長を務めていたコンサート(2004年8月)に出演いただいたことが出会いでした。(とはいえ、学生時代から“新響ファン”でしたが)新響の個性的な音色は「日本のオケ」を強く感じさせるもので、今回もそれを再認識しました。プロアマ問わず、世のオーケストラもグローバル化が進み、演奏技術の向上と共にその音色も国際的になってきたと感じます。とても良いことですが、一方ではローカル色豊かな音を持ったオーケストラが減ってきたように思います。そんな中、新響のコンサートは私にとって、日本のオーケストラの音で魅力溢れる西洋音楽を聴くことのできるとても貴重な、大切な機会なのです。コンサートはどの曲も密度の濃い充実した演奏で、大満足!でした。
ソリストの大谷康子さんはなんともチャーミングで、その存在感は圧倒的、魅了されました。「シェヘラザード」における妖艶ともいえる繊細な歌いまわしも最高で、その実力をあらためて認識させられました。
新響は邦人作品が得意というイメージを持っていますが、ハチャトゥリアンを聴いて、(乱暴であることを承知で言うならば)民族的ニュアンスを含む作品の演奏に、説得力、納得性があると感じました。この曲はこういうものだ!という意思を感じる演奏です。一方では、作曲家と作品に謙虚に誠実に接している姿勢が演奏から感じられ、楽曲の性格や魅力を自然に伝えてくれるのです。
今回のプログラムは、昨年逝去された小松一彦先生が生前新響との演奏を望んでおられた曲で構成されている、とのこと。その知的で熱い演奏は小松先生を彷彿とさせる趣がありました。かつてご指導いただいた際に「日本のアマオケで一番なのは新響だ。」と私に明確に仰ったお言葉を思い出しました。
今回も様々な気付きや発見があり、なんとも清々しく、気持ち良く会場を後にすることができました。次回は飯守先生のワーグナー&ブルックナー!楽しみにしています。

新交響楽団 第225回演奏会
2014年4月6日(日)14時開演/東京芸術劇場コンサートホール
■指揮 曽我大介
■ヴァイオリン独奏 大谷康子
■曲目 ハチャトゥリアン/バレエ音楽「ガイーヌ」より
サン=サーンス/ヴァイオリン協奏曲第3番
リムスキー=コルサコフ/交響組曲「シェヘラザード」

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『指揮者グッドオールの生涯』を読んで

2014年4月4日(金)

指揮者グッドオールの生涯―クライバーが讃え、ショルティが恐れた男(山崎浩太郎 著)

これまで感じてきたことを想起させてくれる内容で、興味深く読むことができました。
偶然、「ブルックナー交響曲8番」「トリスタンとイゾルデ第1幕への前奏曲」のCDを持っていて、指揮者の名前を覚えていたので手に取った本でした。CDの演奏は、お気に入りというわけではなかったのですが、その素朴な、人間を感じさせる音楽は印象的でした。

1900年代のイギリスの音楽文化、歴史の混沌をかいま見ることができました。
自国(イギリス)の指揮者が「わが国の歌手の声には力と輝きがない」と蔑み、他国の指揮者(クーベリック)が「イギリス人歌手はけっして大陸の歌手に劣らない。劣等感を持つ必要はない。」と弁護した。とか、イギリスはクラシック音楽の輸入国でありレコード大国である、首都にいくつものオーケストラが集中している、など、とても乱暴ですが、明治以降の日本との共通点を感じました。大陸の音楽芸術に疎外感を感じそれを自国のものにしようとする当時のイギリスの強い想いと、西洋音楽に憧れ学び続けた日本の想いが、ほんの少し重なる気がするのです。
CDを聴いていると、日本の朝比奈隆を思い出しました。おそらく各パートをしっかり弾かせ独自性を持たせた上でハーモニーを創ろうとしているのではないか。映像をみると、けっして理解しやすい指揮ではないのですが、それが、音楽の悠然とした流れや緊張感、立体的で明快な音色を生み出しているように感じます。(時折、弛緩、停滞を感じることはありつつも)

もうひとつ印象的だったこと。
デッカのプロデューサー、カルショウによる、史上初「ワーグナー“指輪”」全曲録音の指揮者「ショルティ」について。この録音を映画撮影に例え、主演のショルティは「当代の偉大なワーグナー指揮者」という役柄を演じきり、その後もその役柄を実際の歌劇場でもこなすようになる。なるほど、と思いました。

Reginald Goodall dirigiert Wagner: “Die Walküre”

「うますぎるひとはなかったことにされる」のか?

2014年3月27日(木)

「うますぎるひとはなかったことにされるんだよ」
あるとき、そんな話題になった。
最初は何のことだろう、と思ったが、なんとなく心当たりがある。そのうち、音楽界だけではなく、様々な分野であることだと気づいた。
「うますぎるひと」が相応に評価され、注目されるような世の中にしたいと夢を見ている。
私の立場でいうと、“有名なひと”ではなく『ほんとうにうまいひと』で事業展開したい(笑)

木下保 『私は発声は教えない。』

2014年3月21日(金)

木下保 『私は発声は教えない。その人がその音楽を感じ、理解すれば、声はおのずから音楽に導かれる。それができないのは音楽への理解がそこまで到達していないからだ。』 (オペラ歌手奮闘物語・畑中良輔 著)

■木下保 声楽家(テノール)・指揮者
1903年兵庫県豊岡市生まれ。1927年新交響楽団(現NHK交響楽団)「ベートーヴェン没後百周年記念演奏会」の交響曲第9番のソリストとしてデビュー。1932年~1935年の欧米留学帰国後は東京音楽学校などで教育活動を行った。1935年からは継続して「木下保リサイタル」を開催し、ドイツリートを作曲家単位で紹介する演奏会に取り組んだ。また戦中戦後は、信時潔、山田耕筰、平井康三郎の日本歌曲の研究、紹介に尽力した。オペラでは、1952年二期会旗揚げ公演(「ラ・ボエーム」)に招かれ、また、團伊玖磨《夕鶴》与ひょう役は、生涯で125回演じた。合唱指揮としても活躍し、慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団をはじめ多くのアマチュア合唱団を指導した。戦後の全日本合唱連盟発足の基礎となる関東合唱連盟の設立(1946年)で、初代理事長に選任されている。1982年没。

■畑中良輔 声楽家(バリトン)・合唱指揮者·音楽評論家·作曲家
1922年北九州市・門司生まれ。東京音楽学校(現・東京芸大)声楽科、同研究科で学ぶ。宮廷歌手ヘルマン・ヴーハーペニヒに師事。リリック・バリトンとして、卓抜した解釈と豊かな表現力で知られ、デビュー以来、高い評価を得た。オペラではモーツァルトを得意とし「魔笛」「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」などの日本初演で主役級を歌い、またゲルハルト・ヒュッシュ、フェルッチョ・タリアビーニといった高名な演奏家とも共演するなど輝かしい活動を展開。ドイツ歌曲や日本歌曲に造詣が深い。著書に『演奏の風景』、『演奏家的演奏論』、『繰り返せない旅だから』シリーズ全4巻ほか。新国立劇場初代オペラ芸術監督、藤沢市市民会館文化担当参与、水戸芸術館音楽部門芸術総監督などを務め、平成12年度文化功労者顕彰。日本芸術院会員。2012年没。

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金子三勇士のピアノ

2014年2月5日(水)

シリーズ「作曲家の庭」にピアニスト金子三勇士が登場します。
なぜ金子さんに出演していただくことになったのか、決め手はやはり生演奏に触れたこと。以下の2公演を聴きに行きました。

■金子三勇士ピアノリサイタル 2012.12.2 裾野市民文化センター
■B→C(ピアノ金子三勇士) 2013.4.23 東京オペラシティリサイタルホール

技術的なレベルはもちろん高いのですが、音色のやわらかさと響きの豊かさが格別で、どんな場面でも上品でアカデミック。しかし、音楽性は常にいきいきと生命力に満ちている、若々しい激性と落ち着きを伴った客観性をを兼ね備えた、類まれなるピアニストであると感じたのです。
特に感銘を受けたのは、バルトーク「ピアノ・ソナタ」と西村朗「白昼夢」。
前者は、打楽器的とも言えるリズムや民謡の節回しは時に雑然とした演奏になりがちですが、金子さんは高い技術と音楽性と共に、誠実な姿勢で作品に向き合い、その魅力を最大限に引き出し表現していました。後者は西村作品独特のエネルギーと緊張感に満ちた作品ですが、知的かつ冷静に、集中力を持続させ、その独特の世界観を見事に創り上げていました。それらの演奏に接し、ぜひ出演していただきたいと依頼したのです。
さらに、人柄も素晴らしく、お話も上手お得意のリスト&バルトークを演奏していただく合間に、作曲家と楽曲についての紹介もお願いしています。2/16(日)14:00開演/静岡音楽館AOI 。お楽しみに!

■金子三勇士プロフィール
1989年、日本人の父とハンガリー人の母のもとに生まれる。
6歳で単身ハンガリーに渡りバルトーク音楽小学校にてチェ・ナジュ・タマーシュネー に師事。2001年、11歳で国立リスト音楽院大学ピアノ科に飛び級で入学、エックハルト・ガーボル、ケヴェハージ・ジュンジ、ワグナー・リタ に師事。2006年にピアノ科全課程修了とともに帰国、東京音楽大学付属高等学校に編入し、清水和音、迫昭嘉、三浦捷子に師事。2008年、バルトーク国際ピアノコンクール優勝の他、数々の国際コンクールで優勝。2011年第12回ホテルオークラ音楽賞を受賞。2012年第22回出光音楽賞を受賞、また優れた若手芸術家を支援するために設立されたアーカイム日露友好協会の奨学生となる。2013年、平成24年度上毛賞「第10回上毛芸術文化賞 音楽部門」を受賞。これまでに、小林研一郎指揮/読売日本交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、大阪センチュリー交響楽団(現日本センチュリー交響楽団)と共演。海外ではハンガリー、アメリカ、フランス、ドイツ、オーストリア、スイス、ギリシャ、ルーマニア、チェコ、ポーランド、中国、ロシアなどで演奏活動を行なう。現在東京音楽大学大学院に在籍中

ピアニスト長尾洋史『ハンマークラヴィーア』を聴く

2014年1月31日(金)

ブログを始めて最初の投稿が「とんかつ」でしたが、2つ目の投稿は音楽事務所らしくコンサートの話題です。
東京文化会館小ホールで開催された「長尾洋史のベートーヴェン」に行きました。昨年3月、静岡でのコンサートでご一緒し、その知的で誠実な演奏に(もちろん高い技術と共に)魅了されて以来、いつか長尾さんのリサイタルを聴きたいと思っていました。
プログラムはオールべートーヴェン!

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ロンド ト長調Op.51-2
幻想曲 ト短調OP.77
15の変奏曲とフーガ 変ホ長調Op.35「エロイカ変奏曲」
~休憩~
ピアノソナタ第29番 変ロ長調Op.106「ハンマークラヴィーア」
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長尾さんにはゆるぎない音楽があり、確かな技術によって、それをまっすぐに聴衆へ語りかける。それは表面的・圧倒的に、ではなく、やさしく誠実に、しっかりと我々の心の奥に届いてくるのだ。ステージは新しい音楽が次々と生まれているような新鮮さで、品格も漂う。

いつか、弊社主催で長尾さんのリサイタルが実現できるようにと夢見ています。